景気循環の専門家が徹底解説!日本経済に景気回復の兆しはあるのか?|椙山女学園大学 植林茂教授にインタビュー
椙山女学園大学
植林茂教授
1982年横浜国立大学経済学部卒、日本銀行入行。考査役、山形事務所長、調査統計局調査主幹、埼玉大学客員教授などを経て、2019年4月より現職。2022年4月より現代マネジメント学部長。駒澤大学非常勤講師。愛知県金融広報アドバイザー。埼玉大学博士(経済学)。専門は金融論、金融リスク管理論、景気循環論。
主な著書・論文(共著・編著を含む) 『日本金融の誤解と誤算:通説を疑い検証する』共編著、勁草書房、2020年。『金融危機と政府・中央銀行』単著、日本経済評論社、2012年、「銀行貸出と景気動向指数、預金量等との関係についての分析」(『景気とサイクル』66号、2018年)、「デフレ経済への挑戦 ―日本銀行審議委員 中原伸之の4年間―」(『景気とサイクル』74号、2022年)など。
1.日本経済における現状と課題について
景気が良いか悪いか、改善方向に向かっているか悪化方向に向かっているかを判断することは決して簡単ではありません。専門家は現状を判断するために、数多くの経済指標を分析していますが、見方が分かれることもしばしば起こります。
それでは、短時間で把握しようとしたときに、何をみて判断すればよいのでしょうか。実質GDPの前期比をみるという方法もありますが、この指標は3か月に一度しか発表されないうえ、各期の振れも大きく、例えば、景気が改善している局面でも一時的にマイナス成長を記録するといったこともよく起こります。
そうしたことがあまり起こらず、景気の現局面を直感的に把握することができる指標として、景気動向指数(コンポジットインデックス<CI>・一致指数)という指標があります。この指標は内閣府が毎月作成・公表しているもので、鉱工業生産指数、労働投入量指数、商業販売額、営業利益(全産業)、有効求人倍率など、10の指標を合成して機械的に作られています。
この景気動向指数(CI・一致指数)について2024年2月公表のデータをみると、コロナ禍が発生した後大きく落ち込み、その後、2020年5月を底として改善し、足元はその勢いが弱くなっているものの、依然として改善傾向が続いていることが一見してみてとれます。
では、なぜ景気が改善しているか、その理由を平たく述べると、一つは、コロナで滞っていた生産、貿易、消費などが回復し、一部においてはペントアップ・デマンド(いわゆるリベンジ消費)も見られること、二つ目は、世界最大の経済規模である米国の景気が雇用、消費の好循環の継続を背景に拡大が続き、これが我が国経済にも好影響を与えていること、などの理由が挙げられます。
しかし、このように我が国の景気は回復傾向を辿ってはいますが、多くの方々は「どこが景気回復?」という感じを持っておられ、さほど実感がないというのが実情です。このように力強さを欠く理由としては、よく言われるような人口減少、高齢化などの問題や、GAFAのような牽引力のある企業・産業が育たないといった長期的・構造的な問題も指摘できますが、最大の要因は、実質賃金がマイナス成長を続けており、最大の需要項目である個人消費について、一時的なペントアップ・デマンドはみられても、継続的な成長の力強さには欠けることが指摘できます。因みに、毎月勤労統計調査(速報、従業員5人以上の事業所)によると、2023年の一人当たり実質賃金は▲2.5%と2年連続の減少となっています。だからこそ、今の日本経済においては、インフレ率を上回る大きな賃上げが課題となっているのです。
2.日本における今後の景気循環について
次に、今後の景気について考えてみましょう。今後の景気を予測することは、現在の景気を判断する以上に難しいことです。
多くの方々は、高度成長期には神武景気、岩戸景気、オリンピック景気、いざなぎ景気という4つの景気回復・拡大局面があったということを一度は聞いたことがあると思います。
こうした景気循環の時期(景気基準日付)は、旧経済企画庁、現在は内閣府にある経済社会総合研究所において、景気動向指数のうちのヒストリカルDIという指標を利用して設定しています。景気の山(ピーク)や谷(ボトム)を通り過ぎてから1年以上経過し、転換点を過ぎたことが明らかになったあとに、転換点の時期をデータ的に検証することで確認しています。
この検証には研究所の職員だけでなく、景気動向指数研究会という会議で学者もメンバーに加わって議論を行っています。このように事後的に景気の山谷を決めたり、過去のいつからいつまでが回復・拡大局面で、いつからいつまでが後退局面であることを判断することが難しいわけですから、まだ実際に起こっていない将来について予測することは至難の業です。まして、社会科学の指標は、自然科学の諸指標と異なり、政策対応によって変化しますからなおさらです。
こういった時には、専門家の見方をできるだけ多く集めることが正しいアプローチでしょう。日本の景気の先行きについて手っ取り早く知ろうとしたときに便利なのは、日本経済研究センターのESPフォーキャストです。この資料は、日本を代表する日本経済フォーキャスター約40名(1月は38名)から毎月経済予測を入手し、集計しています。この2024年1月発表資料をみてみましょう。
このアンケート結果によれば、2020年5月にコロナ禍での景気の谷となった後、現時点で既に景気の山を過ぎたと考えている人はゼロ名、過ぎていない人は37名でした。さらに、「今後1年以内に転換点(山)が来る確率の予測の平均」は32.1%となっており、2/3の確率で景気の山が一年以内に来ない、すなわち景気の緩やかな回復が1年以上続くと専門家たちがみていることが分かります。
リスク要因は様々ありますが、その中でも大きいものとして、海外経済要因が挙げれます。例えば欧米では徐々に引締めモードから利下げモードに転じつつありますが、そうしたなかでの金利と景気・物価とのバランスがうまくとれていけるのかどうか、さらにすでに成長力が落ちてきている中国の景気動向の先行きなどが焦点になると考えられます。
これらの日本経済への影響は大きいと考えられます。加えて、ロシアのウクライナ侵攻や中東情勢、さらには米国大統領選など地政学リスク等の要因の影響にも注意深く目配りする必要があります。
最後に、国内についての注視すべき要因をごく簡単に付け加えておきますと、日本銀行の金融政策の転換、実質賃金の動向(物価と名目賃金のバランス)、個人消費の先行きなどが挙げられます。
3.景気循環からみた今後の金融政策
マクロ経済学の教科書を紐解きますと、経済政策は需要面でのショックや供給面でのショックなどの短期的な経済変動を緩和することを目的に、安定化政策を行うべきと書かれています。こうした基本的な考え方を機械的に金融政策に当てはめて考えると、日本経済の総供給力から考えて需要が過大となっているとき、すなわちインフレギャップが生じているときにおいては、金融政策は引き締める方向での運営を行うことになります。
逆に日本経済の総供給力から考えて需要が不足しているときは、デフレギャップが発生しているのですから、金融政策は緩和方向で運営すべきであると考えられます。
ところで日本経済はバブル崩壊後、不良債権問題を背景にゼロ金利政策や量的緩和に転じ、さらに長期に渡るデフレや少子化、人口減少などの要因もあって2012年からはアベノミクスに呼応して量的・質的金融緩和政策に踏み切り、それを継続して今に至っています。景気循環の面からみれば、需給ギャップの状況に関わらず約30年間金融緩和を続けてきたわけです。
その結果として倒産件数は減少したものの、経済の新陳代謝は進まず、一方で金利マーケットの体温計としてのシグナル機能は損なわれた面があり、マイナス面も目につくようになってきていることは否めません。
しかし一方で、日本経済の活力は十分ではなく、日本銀行が政策変更のタイミングを誤れば、ゼロ金利を解除して景気が悪化した2000年8月のような政策失敗を再び引き起こす可能性があります。
わが国経済は、そうした判断が微妙な時期に差し掛かってきていると言えます。